
朝、咲いていましたけれど、ヒルガオかも。ヒルガオといえば、やはり、カトリーヌ・ドヌーブの映画『昼顔』を思い浮かべます。原作の文庫本を今でも持っています。
「朝顔」と「夕顔」は、『源氏物語』の巻名でも有名です。特に、「夕顔」は、『源氏物語』によって格上げされて、「みやび」の世界に仲間入りしました。
さて、では、日本文学での、「昼顔」は、どんな状況でしょうか。
『歌枕歌ことば辞典増訂版』(片桐洋一 笠間書院1999年)の索引に、「ひるがほ」はありません。「和歌」の世界からは、縁遠い存在であったようです。
次いで、『合本 俳句歳時記第三版』(角川書店1997年)を見ます。「夏」です。例句8句の中から、5句を抜き出しました。
昼顔に認めし紅の淋しさよ 松本たかし 昼顔に積みおろす荷のみな墓石 有馬籌子昼顔は摘まぬ花なり石の門 中村苑子昼顔に廃(すた)
れて巨(おほ)
き鮭番屋 堀口星眠昼顔や玉石据えし流人墓 那須乙郎 「淋しさ」「墓石」「摘まぬ花」「廃れて」「流人墓」という語句から、和歌の「雅(みやび)」とは対極にあるイメージを付けられてしまっていることが分かります。
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昼顔や 朝にも咲くか つゆ知らず (by
Komon) 〔536〕
日本の歌を詠み、鑑賞するには、四季折々の自然を彩る動植物の知識が要ることを痛感します。自然を愛(め)でる、自分も自然の一部であるという気持ちですね。
と申しますより、書物の世界だけでなく、自然に目を向けることも必要なのですね。デジカメを持って、外を歩きましょう。今まで目に入ってこなかった物が、目に入ってくるようになったのを実感しています。